オルゴールの思い出 〜ネット・オルゴール博物館〜

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 オルゴールの思い出



● オルゴールの思い出 箕面市在住の女性 

「オルゴールコンサートに参加して、そのとき「パッヘルベルのカノン」がかかったのです。それを聴いたとき、 息子が好きな曲でした。息子を思い出して涙が止まりませんでした」

 息子さんを亡くされて未だ数ヶ月、静かに鳴るカノンは息子さんの思い出が甦りました。



● オルゴールの思い出 大阪市在住の女性 

「オルゴールコンサートに主人と参加しました。「パッヘルベルのカノン」を聴いたとき、何故か涙が止まりませんでした。

 人前もはばからず止めどもなく涙が流れるのです」「パッヘルベルの作曲したカノン」はバロック時代からの名曲として、どの 時代にも受け入れられた名曲です。

 人の心を打つ不思議な力が有るようです。美しさにも涙が出ることも 沢山経験しました。



● 娘が嫁いだ後の空虚さを同じ曲のオルゴールに助けられて 豊中のお母さん 

お嬢さんが音大でピアノを学び、立派な演奏をされていました。結婚して東京へ行くことになりました。

 「今まで毎日のようにピアノを聞いていましたのに、ある日突然、ピアノの音が聞こえなくなりました。ショックでした。しばらく気の抜けたような日を過ごしました。

 寂しさもあったでしょうが、その頃、近くの教会でオルゴールコンサートを聴きに行き、ショパンの英雄ポロネーズをオルゴールで聞いたとき、娘がピアノでいつも弾いていた曲でした。

 もう離れられなくなりました。この曲を聴いていると娘といっしょにいるような気がするのです。」

● オルゴールをおばあちゃんに贈って上げたい。 神戸のお母さん

おばちゃんが、朝小学生の息子がランドセルを背に家を飛び出すとき、息子の背中に両の手を合わせて拝んでいます。

 「今日も無事に帰ってきてね」そう言っているこのおばあちゃんにオルゴールを贈って上げたいといわれました。



● オルゴールを聞いて感動!もう一度お仕事に復帰します。西宮の女性

「オルゴールコンサートにグループで参加しました。職場を離れる私のために皆で送別会を兼ねてオルゴールコンサートを プレゼントしてくれました。

 コンサートの最後に"パッヘルベルのカノン"が鳴ったのです。聴いたときもう涙が止まりませんでした。

   こんなに深く、胸を打たれたことが衝撃でした。皆からの励ましもあって、もう一度職場に復帰することを思い立ちました。 感動というのでしょうか? 人生が変わったように思えるのです」

● おばあちゃんの遺した一台のオルゴール

 おばあちゃんが亡くなって遺品の中に幾重にも紙包みされた中から、スイス製のオルゴールを見つけました。

 どうして鳴らしたらいいのか分からずみんなで触っている内に突然オルゴールが鳴り始めました。広い食卓でその音を家族みんなでしばらく聞き入ってしまいました。

 その響きにもとても驚きましたが、おばあちゃんが何故こんな立派なオルゴールを持っていたのかとびっくりしました。」「いつ、どうしてこんなオルゴールをおばあちゃんが手に入れたのか誰も知りません。

 「高い買い物をしてみなに言えなかったんじゃないかって」娘がいいます。このオルゴールを聴くとおばあちゃんを思い出すの です。」

● 大震災の中の一台のオルゴール 茨木の男性

「西宮の下宿の二階で寝ていて地震にあいました。一階の独身の方は、後で知りましたが即死だったそうです。二階梁の間を 抜けて何とか外へ抜け出して、家がぺしゃんこになっていてびっくりしました。

 二日後に戻って来て梁の向こうに12月に買ったばかりのオルゴールを見つけて中へ恐る恐る入って行きました。もう一度揺れがあれば、命はなかったでしょう。

 無傷のオルゴールを持って仮設住宅での生活が始まりました。仮設住宅の人にオルゴールを聴いて頂きました。とても心が落ち着くのです。

 涙を流す時もありました。これが癒しだと思いました。みんなからとても喜ばれたのです。

 命を確かめ合ったお付き合いの女性と結婚しました。お式を挙げられなかったのですが、オルゴールコンサートのあとで、居合わせたお客様10数人で小さな披露のパーティをして頂きました」

● 5才の娘のお誕生祝いのオルゴール  西宮の幼稚園の主任さん

5才の娘のお誕生祝いにオルゴールをプレゼントしました。「宝物よ」と言ったときからもう誰にも触らせてくれません。ただゼンマイを捲くときだけお母さんのところへ持って来るのだそうです。

 その時の手付きがお母さんが両手で大事に持つのと同じ手付きだったのです。目を見張りました。ここに教育があるかと教わりました。「主任といえば、園長の候補、オルゴールから、娘から教育を教わりました。」

● オルゴールに癒されました

 オルゴールに命を救われました・・・ 岡山の女性 岡山の村上さんはオルゴールの小さなお店をお持ちです。このお店の前に若い女性が立たれました。ご主人を交通事故で亡くされ、二人の幼い娘を抱えて路頭に迷いました。

 来る日も来る日も当ても無く街を歩きました。その内アルコール中毒に掛かり、いつ主人のところへ行こうか?いつ命を閉じ てもよいと思う日が続きました。

 村上さんのオルゴールのお店の前を通り掛かったときに、不思議な音楽が聞こえたそうです。何気なく入った店内で、村上さんがストリートオルガンを鳴らしていたのです。

 暫く聴いて後で村上さんは私に2時間も話しをしてくれました。それから毎日のように通いました。次第に自分を取り戻し、娘の為に生きなければと思えるようになり、それから仕事につき、いろんなことがあって、娘も大学を卒業し社会人となりました。

 あの時、命をもらった私は、今ボランティアでお返しをしています。私はオルゴールに命を救われました」

● 阪神大震災で二十歳の娘を亡くしました。 神戸のお母さん

「15日の成人式の2日後でした。くったくない明るい子でしたのに、大学では落語研究会でひとを笑わせていましたのに」 突然のことで動転されたことでしょう。

 オルゴールコンサートでハンカチをお顔に当てたままお顔が上がりませんでした。私のオルゴールのお話しの中で「花嫁道具に、赤ちゃんに、胎教からですよ、5代の赤ちゃんを育てて家の宝物にしましょう」この一連のお話はお母さんにとって随分酷な話しでした。「お母さん辛かったでしょう、ごめんなさいね」とお詫びしました。

   「いいんです。娘もオルゴールが好きでした。これを娘と思って持って帰ります」と云われたのです。一年ぶりの夏の暑い日 でした。「私です。やっと心のかたが付きました」このお母さんはこの1年間、どれほどの苦しみでしたでしょう。

決してかたなどつきませんでしょうに。それでも付いたとおっしゃるなら、これからはオルゴールに楽しい思い出だけを乗せてほしい。と心で祈りました。



● 孫娘が白血病、半年のいのち 東京のご婦人

 お電話を頂戴しました。「スイスの大使館からあなたのことをおそわりました。以前スイスで観たクリスタルに入った少し大きめのオルゴール、あの美しい音が忘れられません。今手元にありますか?」

 「いいえ切らしています」「取り寄せてどのくらいですか?」この箱にこの曲と込めて半年から一年と申し上げた途端に「それでは間に合いませんの、孫娘が白血病、半年の命、あの美しい音を生きている間に聴かせてやりたい。何とか間に合わせて下さいませんか?」

 おばちゃんの声がと切れました。孫を想う気持ちが伝わり、断ることが出来ませんでした。一心に書いた手紙にスイスが応えました。1か月でやって来たのです。当時の伊丹の国際空港から到着するのを待ちかねて新幹線に走りました。東京八重洲口でおばあちゃんは待っていてくれました。

 「うれしいです、間に合いましたよ」あのオルゴールは、小さな命を看取りましたでしょう。孫を想う気持ち、命の尊さを 教わりました。



● 入院のお母さんの体験

手術のために入院されているお母さんはオルゴールを聞くととても落ち着きます。吹田の坂本さん(83才)のお母さんは5年前にオルゴールを手にいれました。

 一年前から肝硬変で入院して療養を続けて、半年前から病状が重くなりました。食事も戻しがち、心の安定も得られませんでした。ところがオルゴールを聞くと顔が穏やかになり、食事をもどすこともなく気持ちがとても落ち着くようです。

 それが不思議なくらい顕著です。以前から聞いているオルゴール療法だからでしょうか?



● お母さんに贈った手術の前のオルゴール

 「手術前の母はとても不安を感じて心が落ち着きませんでした。手術はいやだと無理を言い続けましたが、やっと 納得して入院しました。

 オルゴールコンサートで「カノン」を勧められて母に勧めました。手術前にずっとこの曲を聴きました。心が安まり、気持ちがいいと言いまして病室で何日も前から聞き続けました。

 手術の当日もベッドでずっと聴いていました。手術が終わって「もう終わったの?」と母が聞きました。手術のあいだずっとこの「カノン」が頭の中で鳴っていて何も不安がなかったと云ったときほんとに良かったと思いました。

 精神安定にオルゴールが大変役立つことを教えてくれました」



● 集中治療室で鳴らし続けた「カノン」

小川信さん 父上の小川正先生(私にオルゴールを教えた大恩人です)が脳溢血で集中治療室に運び込まれたのは、6月8日でした。

 その2日後にお亡くなりになりました。突然のことで私たちは動転しました。淡路島の花博に行かれてお疲れから脳出血が始まっていたのでしょう。

 日曜日は教え子の結婚式に出たりして、翌週の朝、気分が悪いと横になられたまま意識不明となり、帰らぬ人となりました。

 今晩は大丈夫だろうと言われて皆が病院をひとまず引き上げたあと、浜松から戻られた長男小川信さんは、急変した集中治療室でオルゴールの「カノン」を鳴らし続けたそうです。「好きだったこの曲を、親父はきっと聴いている、そう思って巻き続けました」




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