日本の優れた家庭教育

古く日本には子供達にした家庭教育がありました


−祖母の家の宝物−

「山から切り出した大きな材木でこの家が建てられたんだよ」これが祖母が私に聴かせた自慢話でした。戦争が始まって 家の前の山に防空壕が掘られ、空襲警報が鳴ると2世帯家族は急いで防空壕に入りました。祖母の自慢の宝物は立派なタンスでした。 昔は嫁入り道具に立派なタンスがありました。着物も沢山タンスに入れて出しました。親が精一杯の娘を思う気持ちだったでしょう。 祖母のタンスはケヤキだったと記憶します。大切なタンスは油紙に包まれ防空壕に入れられ、猛空襲に何ヶ月も耐えました。 戦争が終わり、タンスが引き出されたとき、あの立派なタンスは湿気から無惨な姿を見せました。祖母が呆然として言葉がなかった のを子供心に気の毒に思いました。どれ程大切なタンスだったか知るよしもありませんが。美しいタンスが座敷に ある記憶は今も私の心にあります。物を大切にする心を教わったようです。

−祖父の遺した柏手−

 祖父は大柄で小学校に上がる前の私にとっては大きなおじいちゃんでした。お天気の日には、朝早く私を庭の隅っこに 連れて行き朝のまぶしいおてんとさまに向かって柏手を打つのを日課にしました。山の畑は一家が暮らせる1年中の野菜にとうもろこし それにサトウキビまで作り、玄関のたたきには季節の花がいつもいっぱいでした。おてんとう様に柏手を打って1日が開け、夕日に 手を合わせるのは農事に対して自然の気持ちだったでしょう。祖父は私にことさらに言葉で教えたという記憶がありませんが、黙って 柏手を打つ姿をいまやっと理解できるのです。美しい朝日の思い出と、あの大きな柏手の音は、いい教育だった のだと思います。

−物を拾ったらお金を拾ったら必ず交番へ届けなさい−

少し大きくなると、こうでした。当時は、物を置き忘れても取りに返ると必ず元の所に置いてありました。無くした人が戻って来た ときに迷わずにと配慮があったのでしょうか。「落ちていても他人様もの我が物にすることならん」と正義感を教えたのでしょうか? 今にその意義を感じます。小中高生の1年間のひったくりの数が12万件と聞きました。「何が悪いのか」と罪の 意識が無い子供達に私たちは返す言葉を知らないで困惑します。あの子達も救って上げたいと思いながら何も 出来ない非力さを感じます。

−ひとさまから物をもらったら必ず親に見せなさい−

隣のおばちゃんから蒸かしイモをもらっても、直ぐに食べることは出来ませんでした。親に見せるとすぐに仏様に お供えに行くのです。いつまでも食べられない悔しい思いをしました。形で教え、今頃やっと解る凄い教育をしました。 「ご先祖のお陰で今日ありましょう」と感謝や恩というものを当時は、どの家でも教えたのだと思います。

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